【日本刀 逸話伝説】歴史が動いた日~関ヶ原の戦い1~背景って?

関ヶ原の戦い!天下分け目の大戦、なぜ起こったの?

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戦国時代を終わらせて、その後の日本の支配者を決定つけた天下分け目の戦いです。

名前はよく出て来るのですけれど、詳細は余り知られていない戦いです。

関ヶ原の戦いは戦国時代の終わりの頃ですし、

戦国時代の有名な武将が亡くなっていなかったからって思います。

 

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関ヶ原戦いって1日で終わったの?

織田信長、豊臣秀吉、武田信玄、上杉謙信等々、そういった人物がいませんでした。

その上、関ヶ原の戦いは政治的な理由が多かったので、

戦国時代の歴史と比べると複雑なことと後、1日で終わっているからなんです。

 

でも、関ヶ原の戦いに至るまでの経緯は長くて戦いは短かったっていう関ヶ原の戦いです。

豊臣秀吉が天下統一をしました日本でしたけれど、豊臣秀吉の死後、

豊臣家で日本を運営することになったのは

「豊臣五大老」と「豊臣五奉行」と呼ばれていた人達です。

 

豊臣五大老っていうのは各地の有名な大名によって結成された権力者の代表の事です。

関東を支配していました「徳川家康」は五大老の筆頭

北陸地方は「前田利家」は豊臣秀吉の親友、そして盟友です。

中国東部地方は「宇喜多秀家」は豊臣秀吉に子供の頃からお世話になっていました。

中国地方西部は「毛利輝元」

越後のは上杉家の後継者「上杉景虎」

 

関ヶ原戦の背景って?

豊臣五奉行は豊臣家の中で実際に政務を仕切っていた「豊臣上層部」の人達です。

石田三成、増田長盛、浅野長政、前田玄以、長束正家の5名ですけれど、

豊臣秀吉の死後勝手な行動を起こし出したのは、徳川家康です。

豊臣家の中でそういった行動は禁止されていました。

でも五奉行に相談をしないで婚姻の斡旋や領土の授与等々を独断でやっていました。

 

この行動に豊臣五奉行は怒り、

特に五奉行の筆頭の石田三成は徳川家康を非難するようになります。

ですけれど、徳川家康が勝手に婚姻や領土を斡旋等々していたことは

違反行為ではあったのですけれど、それを受けた武将は有り難いことだったんです。

因みに、非難していた石田三成の方が悪く言われ、徳川派と三成派に分かれていきました。

 

だからっていって直ぐにトラブルになることはありませんでした。

豊臣家の中には仲介役の前田利家がいましたから。

天下五剣で豊臣秀吉から大典太光世をもらった由来のある人物です。

前田利家は豊臣五大老として色々な仲介役をしていました。

多くの武将や大名に慕われて大きなトラブルにならないように配慮していた人物です。

 

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まとめ

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豊臣五奉行の怒りも同じ気持ちでしたけれど、

抑える役割も果たしています。

前田利家も人間ですから、時が経ち亡くなってしまいました。

そして事件が起きたのです。

 

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