【日本刀 逸話伝説】歴史が動いた日~関ヶ原の戦い3~家康の賭けとは

関ヶ原の戦い、家康の賭け

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徳川軍の援軍の活躍によって有利になりましたけれど、

決定的な人物、西軍には居たんです。

豊臣秀吉の養子の「小早川秀秋」っていう人物です。

この人物は豊臣秀吉に可愛がられて、一時は跡継ぎ候補まであった人物です。

のちに小早川隆景の養子になって小早川家を継いでいます。

 

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小早川秀秋とは

小早川家は毛利家の家臣ですので、

西軍の総大将になっています西軍には絶対いないといけない人物だったんです。

ですけれど…ここでも誤算が生じます。

 

小早川秀秋は大の石田三成嫌いだったんです。

石田三成に失態を豊臣秀吉に報告されて怒られたり、領地を没収されています。

でもその後、小早川秀秋と豊臣秀吉の仲を取り持ったのが、徳川家康だったんです。

 

小早川秀秋は東軍に付こうって思いますけれど、

血統の立場から言えば、西軍にいる人物だったっていう事です。

小早川秀秋を寝返させたいっていう気持ちが強かったんです。

当初は西軍は戦いになると弱いって思われていました。

でも段々、西軍優勢になっていきます。

 

家康は賭け

ここで家康は賭けに出るんですけれど、小早川秀秋に向かって鉄砲を撃ったんです。

これは創作っていう説もありますけれど、小早川秀秋は小心者だったことは確かなんです。

撃たれたら西軍に付くって思いますけれど、

「家康が怒っている」って思って寝返り宣言をします。

 

約1万人の軍勢を率いて、西軍に襲いかかります。

でもこれを予測していた人物が居たんです。

「打倒家康」って親交を深めました大谷吉継なんです。

西軍に襲いかかる部隊は迎撃されてしまいました。

ここで西軍優勢って思っている矢先に大谷吉継の誤算が襲いかかるんです。

小早川秀秋が寝返ったことで、一緒に寝返った部隊がいたことです。

 

これで結果は東軍に傾き勝利します。

こういった経緯で豊臣軍は滅びていきました。

東軍の味方についていた人物は領地を与えてもらって、大名に出世します。

小早川秀秋もそうですけれど、

ただ裏切りや醜態が非難されてしまって関ヶ原の戦いの2年後に亡くなりました。

 

1603年徳川幕府が出来て時代が

「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」が実現したっていうことです。

後付けですけれど…。

そういう人物だったっていうことです。徳川家康っていう人間は。

 

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まとめ

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関ヶ原の戦いは「官僚と武断派」の戦いですから、ただの戦とは違うっていうことです。

六時間の戦いの中で得る物があった東軍と、

失うことになってしまいました西軍の戦いの結末です。

 

こういった経緯です。関ヶ原の戦いは…。

今の岐阜県で戦いは行われたって記憶があったって思いますけれど…。

美濃の国だったから~。

 

 

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