幕末には、後世に「人斬り」と呼ばれるようになった人物が何人かいます。その一人が、肥後熊本藩士の河上彦斎(かわかみ げんさい)です。
「人斬り彦斎」の異名で知られ、開国論者の佐久間象山を暗殺した人物として歴史に名を残しました。
そんな彦斎には、次の辞世が伝えられています。
君が為め 死ぬる骸に 草むさば 赤き心の 花や咲くらん
「君のために死んだ自分の亡骸が草に覆われるようになったなら、そこには自分の赤い心を表す花が咲くだろう」――そのような意味に読むことのできる歌です。
しかし、河上彦斎の辞世として伝わっている歌は、これだけではありません。そして、その歌に込められた思いを理解するには、「人斬り」と呼ばれた男がなぜ明治の世になって処刑されることになったのかを知る必要があります。
河上彦斎とはどんな人物だったのか
河上彦斎は、天保5年(1834年)、肥後国熊本に生まれました。幕末になると尊王攘夷運動に加わります。
尊王攘夷とは、天皇を尊び、外国勢力を日本から排除しようとする思想です。幕末の日本では開国をめぐって意見が激しく対立していました。
彦斎は、その中でも強い尊王攘夷思想を持った人物として知られています。やがて京都で活動し、三条実美ら尊王攘夷派の公家とも関わり、長州藩の尊攘派とも行動を共にするようになりました。
「人斬り彦斎」――佐久間象山を斬る
元治元年(1864年)、河上彦斎は京都で佐久間象山(さくま しょうざん)を暗殺します。
佐久間象山は西洋の学問や技術を積極的に取り入れるべきだと考えていた人物でした。一方の彦斎は、強硬な尊王攘夷思想を持っていました。
彦斎はこの佐久間象山暗殺によって、後世「人斬り彦斎」と呼ばれるようになります。ただし、「人斬り」という異名から、多くの人間を次々と暗殺した剣客のような姿を想像するかもしれません。彦斎による暗殺として確実に知られている代表的な事件は佐久間象山暗殺です。
幕府が倒れれば彦斎の理想は実現するはずだった?
河上彦斎の生涯で興味深いのは、ここからです。彦斎は尊王攘夷を掲げて幕末を生きました。やがて徳川幕府は倒れ、明治政府が成立します。
ところが、実際の明治政府が進んだ方向は彦斎の理想とは異なりました。新政府は外国を排除するのではなく、諸外国との関係を維持しながら西洋の制度や技術を取り入れ、日本の近代化を進めていきます。
幕末には大きな力を持った「攘夷」という思想そのものが、急速に時代から取り残されていったのです。
新しい時代で、今度は彦斎が「反政府側」になる
維新後、彦斎は高田源兵衛と名を改めます。一時は明治政府に任官しましたが、ほどなく辞任しました。
その後、長州藩で起こった脱隊騒動の関係者とのつながりなどから嫌疑を受け、明治3年(1870年)に捕らえられます。処刑に至った事情については資料によって説明に違いがあります。
そして明治4年12月4日(1872年1月13日)、河上彦斎は東京で処刑されました。
幕末、天皇を中心とする新しい世を求めて活動した彦斎。ところが幕府が倒れ、実際に新しい政府が誕生すると、新政府は、日本の近代化を進め、尊王攘夷とは違う方向に向かっていった。その新政府によって自らが処刑されることになったのです。
河上彦斎の辞世は一つではない
河上彦斎の辞世として特によく知られているのが、次の歌です。
君が為め 死ぬる骸に 草むさば 赤き心の 花や咲くらん
しかし、彦斎の辞世として伝えられている歌は一首だけではありません。
かねてより なき身と知れど 君が世を 思う心ぞ 世に残りける
さらに、
君を思い 君の御法に 死ぬる身を ゆめ見こりなそ つくせ世の人
という歌も、彦斎の辞世として伝えられています。
資料によって掲載される歌の数には違いがあるため、「河上彦斎は処刑直前に三首の辞世を詠んだ」と断定するよりも、「河上彦斎の辞世として複数の歌が伝わっている」と考えるのがよさそうです。
「君が為め 死ぬる骸に」の歌にこめられた思い
ここでいう「君」は、彦斎の思想や他の歌とのつながりから考えれば、天皇を指していると読むのが自然です。
現代語にすれば、「君のために死んだ私の亡骸が草に覆われるようになったなら、そこには私の赤い心を表す花が咲くことだろう」といった意味になります。
印象的なのは「赤き心」という言葉です。「赤心(せきしん)」には、偽りのない真心、誠意という意味があります。
自らの肉体は死んで朽ち、草に覆われる。しかし、自分が最後まで抱き続けた真心は消えず、やがて花となって現れる。死んだ後も、天皇を尊ぶ心は変わらず残り続けるというような変わらない意思をしたためた歌に感じられます。
「かねてより なき身と知れど」の歌にこめられた思い
現代語にすれば、「以前から自分の命など無いものと思っていた。しかし、君の世を思う心だけは、この世に残っている」という意味になるでしょう。
幕末の尊王攘夷運動は、命を落とす危険と隣り合わせでした。「かねてよりなき身」という言葉からは、自分の命をすでに捨てたものとして生きてきたという覚悟を読み取ることができます。
しかし、その自分が死んでも「心」は残る。一首目の「赤き心の花」と非常によく響き合っています。
「君を思い 君の御法に死ぬる身を」の歌にこめられた思い
特に注目したいのが、「君の御法に死ぬる身」という部分です。
天皇を思って生きてきた自分が、尊王攘夷のために奔走し、暗殺までも行った。そして幕府が倒れ、天皇を中心とする新しい世が訪れたにもかかわらず、やがてその「君」の世の法によって自らは死んでいく。彦斎の最期を考えると、非常に重い言葉です。
それでも歌は、自らの思想そのものを否定する方向には向かっていません。むしろ最後まで「君」を思い、世の人にも尽くすことを求めています。
「人斬り彦斎」の辞世が伝えているもの
河上彦斎は「人斬り彦斎」という名前で知られています。しかし、その異名だけを見ていると、彦斎という人物の一面しか見えてきません。
彼は尊王攘夷という思想を強く信じ、その思想のために行動した人物でした。そして幕府が倒れ、天皇を中心とする新しい時代がやってきても、その思想を簡単に変えることはありませんでした。
君が為め 死ぬる骸に 草むさば 赤き心の 花や咲くらん
この歌の「赤き心の花」は、単に死を美しく表現した言葉ではないのかもしれません。自分の肉体は滅びても、自分が正しいと信じた心だけは残る。
幕末には必要とされた思想が、維新後には新しい国家の進路と衝突する。河上彦斎の最期と辞世から見えてくるのは、一人の「人斬り」の物語だけではありません。
幕末から明治へと時代が大きく変わる中で、信じ続けたものと新しい時代との間に取り残された、一人の志士の姿なのではないでしょうか。

コメント