池田屋事件って?
新撰組ですけれどね、これが切っ掛けで新撰組の名前が有名になったんですよね。
元治元年1864年の6月5日は、池田屋事件があったんですよ。
尊皇攘夷派だった長州藩が京都から追い出されて、佐幕派が主流になっっていました。
尊皇攘夷派は何とかして政局に返り咲くべく暗躍を考えます。
佐幕派は佐幕派でそういう人達を探していたんですよね。
そして元治元年5月、佐幕派一角松平容保の配下の新撰組は情報を掴んだんですよ。
京都の中に尊皇攘夷派の一員がいるっていうことですけれどね。
なにやら怪しい匂いがしますよね。
新撰組の役割
計画はね、
「御所に放火して、どさくさに紛れて佐幕派を殺害して、孝明天皇を長州に誘拐する」
っていう内容です。
佐幕派でなくても止めますけれどね。
この情報を聞き出したのが、土方歳三です。
鬼の副長ですからね。何したのかは分かりませんけれどね、余程のことだと思いますよ。
だってね、誰が拷問してもね、口を割らなかったんですから。
さて、ここからが新撰組の役割です。
京都市中で警察の役割を担っていた新撰組はこのような物騒な計画を阻止する為に
調べを進めていきます。
そして、ついに6月5日に池田屋っていう旅館が怪しいって気付き、近藤勇さん達が押しいります。
でも何も無かったら本当に迷惑集団ですよね。
こういうことがあるからね、新撰組って迷惑集団って言われてるのかなぁって思いますけれどね。
池田屋事件とは
夜の22時頃、討ち入りが始まります。
確か新撰組はね、この時は4人でしたよ。
近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助ですね。
ただ、本当に不利ではあったんですよね。
今のように電気があるわけではありません。しかも屋内ですから尚更、狭くて、暗いんです。
途中で負傷したり、離脱する隊士もいました。
沖田総司がそうです。
暗いからってね、壁に加州清光突き刺さなくてもねっていうくらいかなりの攻防です。
相手は20~25人ですから。
でも新撰組は徹底的に攘夷派を追い詰めます。
応戦して斬殺された者は勿論ですけれど、池田屋から逃げた攘夷派も追い付かれ、
後日捕縛され、多くの攘夷派は命を落としました。
この活躍は新撰組の歴史の中で一番有名になった出来ごとです。
でもね、実は裏話があるんですよね。
新撰組って迷惑集団ですよね。
旅館の関係のない人達まで斬ってるんですよね。
女将さんや、使用人さんまでやっちゃってるんですよ。
暴れ過ぎですけれど、それくらい大変な事件だったっていうことですけれどね。
まとめ
池田屋事件はこういう事件だったっていうことです。
良く勘違いされてしまいますのが、坂本龍馬ですけれどね、
坂本龍馬は、寺田屋事件と近江屋事件ですね。
坂本龍馬は新撰組に殺害はされていませんよ。
疑われて、近藤勇局長は斬首刑になりましたけれどね。
それはまた後程書きますね。

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