徳川家康は(征夷大将軍)で江戸幕府、豊臣秀吉の関白って?

基本的に「幕府」って何?

Print

幕府は将軍が軍務を処理する場所のことですけれど、

軍旗の至るところに幕を張って、将軍の居場所にしたことから、

「幕府」っていう言葉になりました。

 

徳川家康の幕府とは

天皇が任命しました外部勢力を討伐する軍隊の総司令官のことを

征夷大将軍って言いますけれど、その作戦司令部っていう名目のことです。

幕府って、鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府の三つです。

豊臣秀吉は征夷大将軍になっていましたら、「大坂幕府」になっていたと思いますけれど、

豊臣秀吉は征夷大将軍にはなっていないので、幕府を開いていません。

 

中国にも日本と同じように幕府っていうものがあります。

「近衛府」っていうらしいですけれど…。

豊臣秀吉は何故、征夷大将軍を断ったのですけれど、

徳川家康は征夷大将軍を選んでいます。

徳川家康は幕府を設立して、「禁中並公家諸法度を作成し、朝廷を統制、

政治における実権を握りました。

 

豊臣秀吉の関白って

一方、豊臣秀吉は征夷大将軍よりも身分の高い関白を選んでいます。

関白を選んでいても、徳川家康と同じ事は出来るんですけれどね、何故、

征夷大将軍ではなくて関白を選んだのは、

平安時代からあった摂関政治を狙っていたからなんです。

 

豊臣秀吉は日本を統一しています。

そして、朝廷から、関白の官位を受けて、その権威を持って日本全国の大名を支配しました。

でも本当は、豊臣秀吉も征夷大将軍の称号を受けることを打診されてはいるんです。

当時、足利義昭が将軍の在職中だったので、遠慮したっていう説があります。

 

あとですけれど、秀吉は一説ですけれどね、

足利義昭の養子になるように工作をしているんですけれどね、

上手に行かなかったっていう説もあって、遠慮したっていう説もあるんです。

関白に秀吉はなりましたけれど、これは棚から牡丹餅です。

関白相論を見れば分かりますので。

 

実力で天下の覇者になった秀吉に取っては官位が高い程、

自分の権威も高くなっていくっていうだけの考え方だったって思いますよ。

だから、それまで執着はきっとしなかったんだって思います。

 

まとめ

徳川家康は関ヶ原から大坂夏の陣まで戦はしていませんので、多分ですけれど、

徳川家康はきっとこういう事には優れていた人物だと思っています。

だから260年も江戸時代って続いたのかなぁ?

やり手ではあった徳川家康ですね。

勿論、失敗もしていますよ。

関白でも豊臣秀吉はすぐに朝鮮出兵をすぐに出してしまったこと、

跡継ぎがいなかったことで、秀次を亡くしてしまったことが、

豊臣家の大きな誤算だったことはいうまでもありません。

 

 

楽天市場

コメントを残す

サブコンテンツ

このページの先頭へ