【日本刀 逸話伝説】偽官軍 赤報隊 相楽総三。なぜ偽官軍 ?

赤報隊 相楽総三

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るろうに剣心でも出てくる相楽総三、相楽左之助の尊敬する人物とされています。

相楽総三と左之助のストーリーは涙が出ますね。

相楽総三の本名は小島四郎という名前で、江戸の裕福な郷士に生まれました。

弱冠20歳にして国学、兵学をを教える私塾を開き、門下生2百人くらい集めた、

勉強熱心な人物だったのです。

 

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相楽総三とは

時代の流行、尊攘思相に傾倒した相楽総三は活躍する藩がなかったんですよ。

そこで、薩長両藩の志士達と親交を深めて行くのですよね。

西郷隆盛、大久保利通、板垣退助達と連絡を取りながら、関東地方中心に活動をしたんです。

鳥羽・伏見の戦いを誘発させた江戸薩摩藩焼き打ち事件を起こして相楽総三の活躍は

評価されていったのです。

 

大政奉還後、旧幕府側が新政府へ反乱を起こす様に仕向ける命令を西郷隆盛から受けて江戸、

関東の地でかく乱させ、敢行しました。

これが原因で鳥羽・伏見の戦いが勃発して、戊辰戦争に流れて行くんです。

1868年慶応4年ですね。

 

赤報隊

相楽総三は新政府の太政官に「建白書」「嘆願書」を上申します。

自ら東征軍の先鋒になり、関東に進軍したいと意気込みを表したんですよ。

相楽総三は「赤報隊」と名付けて近江の愛知郡松尾に三隊を編成して、東に向かって行軍しました。

相楽総三は旧幕府の領土は天皇の所領になるので、当分の間は「年貢半減」する事を領民達の

支持を得る作戦に出たんですよ。

 

こうして、新政府の東征軍先鋒部隊として大任を就いだ相楽総三は東へと進行して行きました。

でも良かったのはこの時だけだったんです。

相楽総三に不運が襲いかかります。

相楽総三が進発して10日も経たない間に、赤報隊が行く強盗や無頼行為を働いていると

噂がたつのです。

心配になった新政府は帰還命令を出すけれど、赤報隊の二番隊、三番隊は帰還命令を

聞き入れるけれど、一番隊だけは引き返さなかったのです。

 

赤報隊は、相楽総三率いる一番隊、二番隊、三番隊の他に、別働隊があったのです。

この別働隊と上手く統制が取れていなくて、強盗や無頼行為を働いていたらしいんですよね。

相楽総三の唯一の失敗は、新政府からの命令無視をしていたことです。

理由は東国攻略地点は碓氷峠にあると思って一刻も早くこの地を制圧すれば新政府に対し、

有利にしよう、例え命令に背いても戦果さえ上げれば許してもらえるという甘い考えを

持っていたのです。

 

しかも年貢半減を行く先々で布告していることが問題になってしまっていたのです。

旧幕府側は新政府に反抗などみせることなく味方をする様になってしまったのです。

でも、新政府は莫大な資金が必要だったのです。

新政府の領土が安定するまでは三井などの大商人から運営資金を融通を受けていたのです。

資金提供の条件として、国内統一出来た時に所領から取れる年貢を有利な利潤で受け負える

条件を出していたのですよね。

 

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「偽官軍」の汚名

新政府軍はなんとしても政約を撤回しないといけなくなったのです。

こうなってしまったら、相楽総三率いる一番隊は問題を広げ元凶になってしまったのです。

帰還命令を無視続ける赤報隊を「偽官軍」の汚名を着せて窮地を脱出した新政府です。

赤報隊隊士達は大半が捕縛され、相楽総三率いる一番隊も捕まります。

罪状は「勝手に進軍し、諸藩と密談を交わした」ということにされました。

 

相楽総三は弁明する機会も与えることなく処刑されました。

新政府の運営の為に働いた赤報隊、相楽総三の軍令無視の為に失敗に終わったのです。

赤報隊は相楽総三がいつも口にしていた言葉、「赤心報国」から取ったものです。

相楽総三の考えの甘さと卑劣な新政府の運営に捨てゴマにされてしまった赤報隊は

きっと知らないまま時代を流れて行くのだと思っています。

 

人の話は最後まで聞くという良い教訓になりましたけれど、どっちもどっちに思える私です。

 

 

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