藤堂高虎は主君に恵まれなかったけど特徴ある築城が得意!

主君に恵まれなかった?

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多分ね、みんな好きだと思うよ。

名前はだけど。

藤堂高虎って格好いい名前って思うから。

藤堂高虎の初陣は「姉川合戦」

主君は浅井長政。

 

でも、翌年仲間を殺害して出奔

その後、阿閉政家に仕えたって思うと磯野員昌に仕えて、

織田信澄に仕えたりって主君を変えるです。

織田信澄に仕えた藤堂高虎は80だったかな?

 

それから加増が無かった事に不満を持ち出奔するんだけど、

ちょっとわがままって思う私です。

でも主君が出来るっていう事はそれだけ実力があったっていう事だと思うけれど・・・。

 

次の主君は豊臣家

豊臣秀長に300石で仕える藤堂高虎は、やっと落ち着いて、出世して行くんだよね。

遂に2万石までの大出世するんだけどね、短命家系の豊臣家ですから。

又しても主君を失うんだよ。

豊臣秀長が亡くなって、高野山で隠凄する藤堂高虎に伊予板島7万石の大名で

呼び出した人物が豊臣秀吉です。

 

でも豊臣家は短命。何でかなぁ?

秀吉の後、徳川家に仕える藤堂高虎は伊予今治に20万石の大名に出世しているんだよ。

凄いっていう言葉しか出ないよね。

その後も功績をあげて、24万3千石まで出世しているんだよね。

 

藤堂高虎って努力家。築城が有名

藤堂高虎が天下を取れなかった理由は、豊臣秀吉を参考にすると分かりやすいって思うよ。

不器用な性格だったっていう事なんだよね。

豊臣秀吉みたいに、機転が効いて口も上手だったらきっとチャンスはあったって思うなぁ。

37万石だもん。

 

関ヶ原の戦いでも、黒田官兵衛の息子、黒田長政よりも行動力が無かった事。

地道な努力家の人物だったって思う私です。

 

武将っていうよりも、お城を建てる腕が凄かった人物です。

 

まとめ

運も才っていう言葉があるけれどね、

藤堂高虎はそれに値する人物だったのかも知れないって思います。

実力はあったけれど、主君に恵まれなかったっていう事がそれを感じるって思うから。

ただ、関ヶ原の戦いの時に逃したチャンスが痛かったって思うなぁ。

 

勿体ないって思うけれど徳川家に仕えた事は最終的には良かったって思うよ。

武将はたくさんいる中で、藤堂高虎は実力者の人物だけど、

運無き実力者だったっていう人物だったって思います。

 

 

 

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